若き日の放浪生活。其の二
◇連れ込み宿のネオン◇

やがて、そんな中、病気療養中だった番頭さんが現場復帰してきました。
その二、三日後の事です。調理場を手伝っていたら、板長からこんな事を言われたのです。
「おめえ、番頭に殺されかねえうちに出て行ったほうがええぞ」
「えっ!?」

何の事はない。私と女将さんの関係は、とっくに知られていたのです。
あまつさえ、番頭は、そもそも女将さんの“色”だと言うではありませんか。
「あの番頭、あれでも前科もちらしいからな。おめえも気をつけな」

番頭は、五十位だったでしょうか。小柄な男で、いかにも番頭という感じでしたが、
言われてみると、どこか不気味な気がしないでもありませんでした。
私は、こっそりその温泉町をでました。

元々長く居座るつもりはなく、むしろ長く居すぎたくらいでしたし、
女将さんの相手にもいい加減うんざりとはしていた所でした。

今頃に成って思うのですが、私は、あの温泉旅館の板長に、
いっぱいくわされたのではないのかと。
今更もう何十年も前の事なので、如何でも良いのですが、
板長は、ひそかに女将さんに惚れていたのではないかと・・・。
それで私に嫉妬していたのではないかのか。そう考えれば、
思い当たる節がいくつかあるのです。

あの病弱で風采のあがらない番頭が、どう考えても、前科者にも、
ましてや、女将さんの男には思えません。もし、番頭さんがそうなら、
女将さんがあんなに私にむしゃぶりついてくるはずもありません。
あれは、明らかに何年も男から離れていた体でした。

板長は、老けては見えましたが、三十代半ばの男盛り、独身でしたし、
女将さんを好きだったとしても不思議ではありません。
いたって無口な男でしたから、気持ちを打ち明けられずにいたのでしょう。

女将、板長、番頭、もう誰かと言うより、ひょつとしたら、三人とも、
鬼籍の人となっているやも知れません。そう考えると、実に感慨深いものがあります。
女将さんと板長が結ばれて幸福であった事を今はただ祈るばかりです。

新潟を飛び出してひとまず、長野市に宿を取りました。
ヒマな時、板長から、包丁の使い方なども習っていたので、
どこか板前の見習いの口はないかと探し、
そこそこの料理屋に住み込む事にしたのです。

何か技術というか、手に職をつけたほうが、流れるにしても生き易いと思ったからです。
包丁一本で、あちこちの店から店を渡り歩く料理人も悪くないと思いました。
今ではもう居なくなったかもしれませんが、当時はまだ、
ハサミ一丁で全国を歩く散髪職人などと言うのもいたはずです。

長野では、やはり休日にブラブラと行った善光寺が思い出されます。
善光寺というのは、天台・浄土兼宗の寺で、古くから人々の信仰の厚い高名な寺で、
私も大勢の参拝の一人と対に成ったというわけです。

例のトンネルもくぐりました。寺の中に、それこそ真っ暗な地下通路があるのです。
当時の事ですから、休みなど、あってないようなもので、
それで極々たまの休みに行ったので殊更印象に残っているのでしょう。

ーー見習いとして私は、調理場に立ちました。日本料理で、七、八人の料理人がいました。
私が、東京から流れてきたというと、皆、おどろいていました。
「ええっ、おまえ、大学生かよ」
「いえ、もう籍はないと思います」

専攻がフランス文学だと言うと、またビックリで、
何時の間にか、インテリと言う事にされていました。それでついた渾名が、インテリで、
仲居さんまでが、インテリさんなどと呼んで呉れる始末でした。
まだまだ大学生と言うのも少なかったですし、ましてや板前の見習い等と言うのは、
まずもって義務教育だけというのが当たり前でした。

そんな一風変わった見習いだけに、正直いって仲居さんにはモテました。
廊下などですれ違ったりすると、サッと何かを渡してくれるのです。
「後で読んどいて」
「・・・」
いわゆる恋文でした。奥ゆかしさと大胆さが同居していた、
いい時代だったといえるかもしれません。

待ち合わせの大きな神社に行くと、仲居さんは、先に来て待っていて呉れたのです。
「休みなのにごめんね」
「どうせヒマだから」
「ご祝儀、頂いたから、何か美味しいものでも食べん?」
「あ、それなら俺も」

お客からご祝儀をもらうと、それを全員で平等に分けます。
そうしないと、板長といえども統制がきかなくなるからです。板前や仲居のの中には、
私のような流れの者もいましたし、たいていは気性のあらい者が多かったのです。
包丁でズブリといったぶっそうな話は、けっこうあったものですから、
ご祝儀は皆で分配するのが鉄則でした。

「なあ、なんで大学、辞めたん?」
「お金が続かなかったから」
「もったいないじやない。あたしも高校、行きたかったな」
「今からだって行けるさ」
「無理や。家は貧乏だし、小さな妹弟もおるし」

彼女は十九でした。しばらくそぞろ歩きました。
「今日、遅くなってもいい?」
「うん」
見ると、連れこみ旅館の例のさかさクラゲのネオンが光っていました。
どちらからともなく、そこへはいって行きました。

旅館の人に、泊りか休憩かと聞かれて、彼女はすかさず、泊まり、
ときっぱりと言ったのを今でもはっきりと思い出します。
彼女は私に抱かれる事を最初から想定していたのでしょう。
「よく来るの?」
「初めてにきまってるでしょう」

きっと仕事か何かで面白くない事があったのでしょう。
憂さ晴らしに私を誘ったのかもしれません。男なら誰でもよかったのかも・・・。
私が、元大学生で口が堅い男と思ったのかも知れません。
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