山室修道女の性愛。其のニ
 


山室修道女の夏向きのくろの修道衣は、台所で水がはねたのか、蝉の羽根の様に
透き通って下着の色が見えるのがといもセクシーだった。
あの下には十年間男性と接していない清潔、貞淑な熟した四十歳の女体が有るのだと
思うと、変な妄想がむくむくと頭をもたげる。
聖書の「もし人が私につながっており、また私がその人とつながっておれば・・・」の箇所では、
私の勃起して長大に成ったペニスにつながった山室修道女の裸体が浮かんだ。

「さて今夜は先週に引き続いて、ブドウの木の喩えを学んでまいりましょう。
イエスさまは、ぶどうの木でわたしたちクリスチャンはその枝であると言われました。
枝がぶどうの木についていなければ、
枝だけで実を結ぶことはできませんと言われました。
その上で、5節に、枝が本当にキチンと幹につながっているなら、
必ず実を結ぶと言われたのです。ということは、実を結ばないということは、
つながっているように見えても、実際は、つながっていないと言われたのです。
ここがポイントであります。実を結ぶということは、どういうことでしょうか。
それは、ガラテヤ5:22−23に書かれている九つの御霊の実を連想します。
即ち、イエスさまと似た者となること、クリスチャンとしての成長のこと、聖化のことであります。

そして、本当につながっていない枝は、実を結ばないだけでなく、枝自身も枯れてしまう。
そして、取り払われて、ゴミと一緒に焼かれてしまうと言われました。
このとき、数分前に裏切るために出て行ったユダのことがイエスさまの念頭にあったことでしょう。
このぶどうの木と枝の関係が、イエスさまとクリスチャンの関係として説明されたわけです。
イエスさまと結合されているなら、必ず、聖化というものが成就して来て、
最終的には栄化へと進む。もし、聖化が全く起こらないなら、
それはイエスさまと結合していないからである。
そして、イエスさまと結合されていない人は、いくら立派なクリスチャンに見えても、
実際は、真実のクリスチャンではないということが言われているわけです。
何故なら、ゴミと一緒に焼かれてしまうのですから。
ユダヤでは、ゴミ焼却場のことをゲヘナと言いますが、それは地獄を象徴する言葉です。
パウロも、ローマ8:9で「キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。」
と言っています。キリストの御霊を持たないということは、キリストと結合されていない、
即ち、クリスチャンではないということです。
卑しくも、一角のクリスチャンであるならば、5節にある、
「私を離れては、あなたがたは何もすることができない」 
と言うことは、少なくとも公式的には知っておられるでしょう。
しかし、枝がぶどうの木につながっているなら、必ず多くの実を結ぶということに関して、
比較的に認識は薄いのではないでしょうか。
即ち、イエスさまと結合されているなら、必ず、多くの実を結ぶ、
即ち、必ずイエスさまと似た聖く、傷なき者へと成長してゆくと確約されているのです。」

いつもは乾いたスポンジに水が沁み込むように理解できる私の頭には山室修道女の
裸体の妄想が既に飽和状態にまで吸収されていて、他の思想が入る余地が無かった。

「先日ある所で伝道していますと、一人の夫人が立たれて、
 『私の子供は五年生に成っても夜尿症が治りません。私は可愛い子供が癒されるまで、
 この場を立ち去りません。癒されないなら信仰なんか役にたちませんからもう信仰は
 しません。神様なんとかしてください』と必死になっておっしゃるのです。皆さんは感心して、
 聞いていましたが、私にははなはだ不信仰に聞こえました。それでたまらずに、
 『奥さん、そんなのは信仰ではない』と注意しました。皆さんは何故だか判りますか」
「はい、桜木さんどう思いますか」
「それは神様を疑い試しているからです。神を脅迫しているからです」
「はいそうですね。(一生懸命信仰しているに)と言うところに嘘があります。
 本当に神に委ね切っている信仰者なら『神様、あなたは全能の愛の神様ですもの、
 子供の夜尿症を治すくらい朝飯前ですね』といいます。するともっとひどい病気でも
 その人の信仰のようにコロッと治るものです」

私はそのような間にも股間のペニスが勃起してズボンの内側で突っ張って、
とても痛くてもじもじしていた。
そして傍らに横座りしている若い女性会員のミニスカートからはみ出した白い太腿が
やけに性欲を刺激しかつ増幅させた。

「人々はキリストに留まり、密着したならばガターンと変ります。
 そのようなことを宗教と言うのです。宗教は英語でレリジョンといいまして、
 語源はレリジオすなわち結合するというラテン語です。ですから宗教は不思議な
 天の生命の木に結合する合一するということが眼目なのであって、
 これを抜きにした宗教は本当の宗教ではないと私は思います」

その夜の学習会は公民館でなく私の家に迷惑かけたという事から早めに午後八時に
お開きとした。何時もより一時間早い早い終了である。四名の女性会員は湯飲みを
台所の流しに持っていっただけで洗わずに帰ってしまった。
帰りの時間はまだ十分あるのと、少しでも長い時間この
アパートに綺麗な山室修道女と居たいので、私は黙って湯飲みを洗っていると、
「中浦さん、生乾きのお洗濯物があったでしょう。私がアイロンかけてあげるわ」
私の耳には結合と言う意味のレリジオと言うラテン語だけが強く響いた。

かっての結婚結婚生活時代の主婦感覚が私の家に来て、
ふと蘇ったのに違いなかった。
「山室修道女、すみませんねえ。とんだ聖書学習会になってしまって・・・」
「いえいえキリストの教えを学ぶ者として他人の為に働くことも大事なのです」

山室修道女はカッターシャツをたちまち本職のクリーニング屋みたいに
パリッと仕上げた。そして丸首シャツを済ませ、
男性性器隠す下着のトランクスのペニス出し入れの
合わせ目にまでアイロンを掛け始めた。

私はなんだか山室修道女の姿が、かってこのアパートで同棲していた
ホステスの夏子の姿とダブって見えた。
そして何時しか何か遠い昔の女遊びしていた当時の気持ちが戻っていた。
私は台所で洗い物をしながらも、股間の物が突っ張って仕方なかった。

私はアイロンをかけている山室修道女に背後から近づいた。
「トランクスはかけなくていいんですよ。そんなものまでかけられては恥ずかしいよ」
「いいえ、いいんです。折角アイロンが温まってますから、ついでに・・・」

私はいきなり左手を肩に回して後ろに押し倒してキスをして口を塞いだ。
「山室さん、あなたが好きだ」
そして自分ではまったく意識しないのに、手が本能的に動いていた。
自分ではただ山室修道女の肩をだいただけの気持ちだったが、
右手のそれも中指は電光石火の早さで山室修道女の
ショーツの内側の股間に入り込んでしまった。

山室修道女はニーレングスとでも言うのか膝下までの短い
ストッキングを穿いただけで有ったので、
中指が膣に侵入したのは、あっという間だった。
そしてそれは周囲の粘膜に快感を伝播する震源地と成ってしまった。

山室修道女の理性も知性も教養もたった一本の中指が吹き飛ばし、
無意識に腰をくねらす一匹のメスに変えてしまっていた。
もはや山室修道女は女の性欲の弱点を握られてしまった哀れな性の奴隷であった。
もう腰を振るより逃れる道はなかった。
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