あの愛をもう一度。其の一

「わたし、やっぱり行けない」
良子はそう言って、私に背を向けた。
列車がホームに入って来た。
「どうしてだ?」
「病床の母を・・・置いてはいけないの」

客車のドアが開く。中から大きな手荷物を持った乗客が降りてきた。
久し振りの故郷なのか、顔をほころばせていた。
「それは、承知の上だったんじゃなかったのか・・・」
「そうだけど・・・でも、行けない。あなたとは一緒にいけない」
良子の意思は固いようだ。遠くでウミネコが鳴いている。

「・・・そうか」
私は一人列車に乗り込んだ。それでも未だ良子がついてくる気がしていた。
しかし良子はその場を動かなかった。ボストンバックを地面に置いたままだった。
アナウンスが流れ、ベルが鳴る。

ゆっくりと、私と良子の間にあった扉が閉まっていく。
ガラス窓を隔てて涙を浮かべる良子がいる。
手を伸ばせば届く距離なのに、もう触れる事は出来ない。
良子が上目遣いで私を見ながら「ごめんね」と唇を動かした。

"ガタン”と列車がゆっくりと動き始めた。私は良子に微笑んだ。
「さよなら」と言った。
デッキ部から客室部に移り、窓を開けて身を乗り出した。
良子が遠ざかる。彼女はいつまでもホームに佇んでいた。

良子の家が見えた。潮の香りが鼻をつく。潮の風が頬に張付く。
私は、自分の人生がまた一つ終わった事を知った。
今でこそ隠居生活を送って居るが、若き頃は船乗りだった。

大型貨物船に乗り、世界中の海を巡っていた。
当然港々には女が居た。フランス人の娼婦、ブラジルの酒場女、香港の年増女。
しかし、今でも忘れられない女がいる。それが良子だった。

もう三十数年前の事だった。
あの日、折からの梅雨前線が急激に活発化し、海は大荒れになっていた。
ちょつと油断すると海に呑まれてしまう。
そんな波が容赦なく襲ってきた。雨もひどい。横殴りの雨が吹きつけていた。

甲板で時化の様子を見ていた私の目に、有っては成らないものが映った。
"まさか・・・”波に翻弄され、それが近づいてくる。

それは小さな釣り船(ボート)だった。中に二人の人物が確認できる。
エンジンは止まっていた。漂流していたのだ。

私は船長室に駆け込み、緊急事態を告げた。
船長は冷静に、ボートの位置を確認していたが、この荒波だ、
如何にして救出すべきかを迷っているようだった。

「おれが海に出ます」
「しかし、この海だぞ」
「人命がかかっているんです」

私は甲板に戻ると、救命具を身に付け、腰にロープを巻いた。
手伝って呉れた仲間が心配そうな顔をする。
「救命ボートの方が良いんじゃないか」
「いや、ボートでは舵が取れない・・・大丈夫だ。荒海には慣れてる」
そう言って、私は海に飛び込んだ。無謀極まりない行為だった。

荒海には慣れてると言ったが、そのような状況下の海を泳ぐのは初めてだった。
命綱が有るものの、私は正直言って不安だった。
が、ボートの上で怯えている彼らを思うと、不安がっている余裕などない。

私は泳いだ。海水を飲み、頭から波をかぶりながら懸命に泳いだ。目の前にボートが
見えてきた。ボートの真ん中で二人が抱き合っている。怯えているのだ。
「今、いくぞ!」
声など聞こえないだろうが、私は声を張り上げた。

近づくにつれ、ボートに乗っている人間が男と女だと言う事が判って来た。
恋人同士とが夫婦とか、そういうもんじゃない。姉弟だ。私はそう直感した。

手が舳先に触れた。グッと力を入れ、体をボートに引き寄せる。
反動をつけてボートに乗り込んだ。二十歳ぐらいの長い髪の女と、
中学生ぐらいの男の子がずぶ濡れになって抱き合っていた。
私を見ると、まず目を剥き、それから安堵の表情に変っていった。

「もう大丈夫だ」
振り返ると、本船はボートに影響の出ない、ギリギリの処まで近づいて来て呉れていた。
船長も甲板に出て来て呉れている。
舳先にロープを結び手を上げる。甲板の上から男たちが一斉にロープを引いた。

「もう安心だからな」
「・・・ありがとう・・・」
女が私に頭を下げた。男の子の方は恐怖からか、寒さからか、
気の毒なほど体を震わせていた。

三十分後、二人は船室で暖を取っていた。
其の周りを海の男達が取り囲む。二人は思ったとおり姉弟だった。

「こんな大荒れの時に、海に出るなんて自殺行為じゃないか」
一人の船員がお灸を据える意味で、少々キッく言った。
姉の方が頭を下げて「すいません」と謝る。
「でも、まさか自殺する積りって訳じゃなかったんだろう」
一緒に暖を取っていた私は訊いた。

「・・・父親を捜しに、舟を出したんです」
姉が熱いコーヒーを一口啜ってから、そう答えた。
「父親?」
「ええ、私の父親、漁師なんです。でもこんな日にも漁に出かけて・・・」

それで心配に成って母親に内緒で、港に停めてあったボートを無断で拝借し、
弟と一緒に海に出たというわけだ。
ところが燃料切れでボートは漂流してしまったらしい。

「その親父さんも無謀だな。で、見つかったのかい」
姉の方が首を横に振った。
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